文化とは何 教育とは何

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私はテレビを持っていません。正確にはテレビ専用機を持っていないのです。4年半前に家を改装したときに処分してしまい、アンテナは付いたままなのですが、そのままテレビ離れしてしまいました。さすがに東日本大震災の時には、パソコンに入れてあるテレビソフトを立ち上げて地震情報を見ました。やはりテレビは情報スピードが早いのですね。屋根に付いているアンテナはアナログ用なので、アナログ放送が終了したら、そのまま全くテレビを見ないつもりでしたが、今はデジタル用のアンテナを付けるかどうかを迷っています。普段はワーワーギャーギャー聞こえてくる興味の湧かない放送が多すぎるので、たまたま付けたときの番組に見入ることがほとんど無かったのです。良い番組を見つけるには多大なエネルギーが必要です。

今回の震災情報番組も始めのうちは、津波の映像や被災地の映像、原発事故の進行状況など正しい情報を整理するのに役立ちましたが、同じVTRが何度も流されたり、番組を作る人の意図が気になり始めると見る気が失せてしまいました。全ての番組ができの悪いものだとは思っていませんが、結局のところ、たとえ内容のあることを述べていたとしても、次々に変わってゆく映像が、考えるスキを与えてくれません。一方的に映像を受けとる習慣は、人間の最も人間らしい「考える」習慣を無くしてしまう気がします。テレビ文化創成期に大宅壮一氏の言った「一億総白痴化」は現実のものとなっています。放射能に対する人々の言動は、正にそれだったのではないか、っと思うのです。

被災しなかった人たちの声に、何もできない自分に無力感を感じる、というのがありましたが、イラク戦争のときに反戦の声を上げている日本の若者を見たときのような、むず痒くなるような感じを受けました。リスクを感じていないからこそ言えるのではないか、っと。無力感を覚えるという、その事によって被災を他人事のように思っているのではないか、っと。災害はいつ自分の身に降りかかってきてもおかしくないものなのですよ。人というのはけっこう呑気なもので、何も出来ない自分に無力感を覚えるほどに、考えない時間を多く持っているものです。自分の人生を他人事のように生きているから、もしくは、自分の作ったステージの上で演じているように生きているから、そういうことになるのだと思います。テレビドラマや映画の見過ぎです。

観念を持たない、人間以外の生物は誠にリアルに生きます。年老いて足を引きずりながら歩く動物が、若い頃はさっそうと歩けて良かったなぁ、などと元気だった昔を懐かしんだりしませんし、体力が落ちて獲物を捕れなくなった動物が、何度も何度もトライを重ねる労力を辛く思ったりもしません。後悔などせず、未来の期待などせず、たんたんと今を生き抜きます。植物などは、死ぬことさえ恐れません。

あと3ヶ月でアナログ放送が終了し、デジタル放送に切り替わります。高画質の放送を見ることができたり、双方向の情報のやり取りができるようになったり、携帯端末でいつでもどこでも放送を楽しめるようになるとのことですが、ワーワーギャーギャーの無内容な放送が高画質になったり双方向になったり、いつでもどこでも見られるようになったところで何が楽しいでしょうか。そもそも楽しいことがいつでもどこでも得られるのだとしたら、きっとそれは楽しいことでは無くなるはずなのです。そして、多くのことを知るということが、「考える」という行為抜きでは、物事を理解することには繋がらないのです。

2011.4.20  Hitoshi Shirata

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