命を奪うことでしか私たちは生きてゆけない

DSC_0397m.JPG

私は毎日、車を100km以上運転します。仕入れ、納品、配達、ストック場の水やり等々、多い日には一日5時間以上も運転します。運転が習慣になり始めのころは、好きな音楽を流したり、FMラジオを付けたりして、無音で運転することは珍しかったはずなのに、ここ一年くらいは、無音で運転することが多くなりました。経済活動の作業として、仕方なく運転するのではなく、僧侶が作務を行うような気持ちで運転する、または、「ながら」ではない運転が安全運転にも繋がるはず、などと思いながら。

それでも、約束の時間が迫っているのに渋滞にハマったり、たまに孤独感が湧いてきたりすると、カーラジオを付けます。いつも インターFM か J - WAVE のどちらか面白い方を流します。先日、夕方の運転中にふとラジオを付けてみたら、女性パーソナリティのスローな語りが心地よかったので、そのまま流していたところ、シンガーソングライターの前川愛という方の番組のようでした。番組も終わりの時間に近づき、奄美諸島の喜界島で育ったという彼女が島民から聞いた島の昔の話しが語られました。

昔は、奄美諸島でも冬になると、かなりの低温になる日があったそうです。東京も気象観測が始まった明治初期には最低気温マイナス9.何度という記録があるそうなので、奄美あたりでも結構な低温になったのでしょう。普段は温暖な海で生活している魚たちなので、低温になった日には、仮死状態となって、波の間に大きな魚から小さな魚までぷかぷかと大量に浮かんでいたそうです。前川さん曰く、私だったら、ぜーんぶすくって、焼いて食べちゃう、だって病気で死んだわけじゃなくて健康な魚が動かなくなっているだけでしょ、っと。??女性なのに面白い。話しは続きます。昔の島の子供は短い棒の先に糸を付けて、泳ぎながら釣りをして遊んでいたそうです。すごい技ですよね、そんな器用なことできそうにありません。ヤドカリをつぶした餌を糸の先に付けて、釣った魚は腰に付けた籠にたんまり入れて、酢みそを付けて食べる。それが子供のおやつだったみたいです。前川さん曰く、わたしも島に帰ったら、ヤドカリつぶして釣りをしてみようっと。??女性なのに、ヤドカリを潰すのへっちゃら。東京ではペットショップで売っている生き物なのに......

聞きながら、ん〜、これこれ、都市に集まっている人たちに足りないものは、っと思い、軽い感動。きっと奄美ではヤドカリは昆虫のように、採っても採っても増えてくる生き物なのです。豊かな自然に囲まれて育った人は生き物に対する感覚がまるで違う。最近の都会のマンションで育った子供は虫も殺せないのです。そのくせ、他人が殺した肉は、感謝の気持ちも無くパクパク食します。この状況なんとかならないものかな? 私ができることは、なるべく多くの人たちに植物を育ててもらうことぐらい。枯らしてしまったり、大きくなりすぎて困ったりしながら、いろいろなことを学習してもらうこと。あまりにも些細なことだけど、それくらいかな。それと、昆虫や小動物を飼うこともお奨めしたい。特に小学生の時期に飼う経験は大切。読者の方々も我が子にぜひ。

2013.1.15  Hitoshi Shirata

日々のこと バックナンバー

「日々のこと」バックナンバーは、各月コレクションからご覧頂けます。