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過労死

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このごろ毎週の様に過労死のニュースを見ている気がする。働きすぎ、過剰残業が原因ということになっている。本当にそうなのだろうか。そもそも長時間働くことは、そんなにも健康を害することにつながるのだろうか。過労死がニュースとして流れるようようになったのは最近のことである。ちなみに私は新卒で入った会社で、ノー残業デーがあったにも関わらず、毎月100時間から150時間くらいは残業をしていたし、先輩方々は200時間越えの月もあった。有給休暇なども取得する余裕が無く、退職前に消化させてもらったのみである。それでも、とても良い会社だったと思う。良い思い出ばかりが記憶にあるのは、単に景気が良い時代に在職していて、会社に余裕があったからだったのか、それとも私個人の受け止め方だけだったのか、どちらだろう。人が亡くなった以上、何かしらの原因と責任の所在が明らかにされないと一件落着とはいかないのだろう。先日読んだ自殺のニュースでは、働き過ぎが精神障害へとつながり、自殺の原因になった、と認められて労災認定となったのだそうだ。亡くなった方や労基署を責めるわけにはいかないけれど、この話は私にとって何かしっくりこない。

働き過ぎが健康を害するのであれば、働かない人ほど健康的な生活を送れることになるが、そんなこともない。要は仕事にやり甲斐を見いだしているかどうかだけである。自分のキャパシティ以上に働いた人がよく口にする言葉は、「何のために働いているのかわからない」だ。そして、そのキャパシティの基準は労働時間である。労基法で定められた時間を基準にして、自分が何時間働いたのか、何時間がんばったのかである。そんな人たちが自己キャパを越えた仕事をし終えた時の言葉は、「自分へのご褒美に~~をしたい」だ。まるで自己演出の舞台で演じている役者である。舞台から降りている時が、娯楽の時間、自分のための時間なのだ。そして、こんなことを言う、「しっかり遊んだり休養をとったりしないと、いい仕事ができない」。本当にそうだろうか。私には、誰かにそうすり込まれてきただけのようにしか思えない。そういえば、私はこんな質問をされたことがある。人生の先輩として、そして単に私が自営業者だからなのだと思うが、「どうしたら自分のやりたいことを成功させることができるか」である。私はこう答えた。「ほかの一切のことを諦めて、そのことだけのために時間を使うこと」であると。そしたら、こんな返事が返ってきた。「それは難しい」「できない」と。いろいろなことをしたい、経験したいとのことだ。色々なこととは、イコール娯楽のことだろうか。旅行に行ったり、スポーツ観戦したり、パーティーに出たり、ご馳走を食べたり、等々のことか。

そして、今やこの世は娯楽天国である。娯楽の提供をミッションとする会社が数多存在して、消費者の人気を得ようと日々しのぎを削る。娯楽に溢れる世の中が常態化していて、娯楽が人生で仕事は業苦と化す。車の運転中にラジオをつけるとナビゲーターが必ず言う。日曜の夜は、明日の朝がシンドですよね、と、月曜の朝は、朝辛かったんじゃないでしょうか、と。娯楽のために仕事をしているという意識が蔓延して、娯楽を楽しむ金を得るために仕事をしているのだと、多くの若者が思うようになる。経営者としては失格の私が、20年ほど前にやっていた小さな会社で、社員に言われたことがある。お金があれば、好きなことが何だってできるのだから、まずお金を稼がないと何も始まらない、と。その時は黙って聞いていたが、私に言わせるとこれは嘘だ。お金を稼げるようになればなるほど、その維持に時間を費やすことになるはずだし、その稼いだお金に本人が想像もしなかったようなたくさんの人が集まってくるのだから、そこでまた時間を費やすこととなり、好きなことをする暇などないのである。そもそも好きなこととやっている仕事が全く別物だったら、お金を稼ぐこと自体を好きにならない限り、それこそやり甲斐を感じることが難しい。仕事のやり甲斐は数値化できないから難しい。労働基準法の法定労働時間は、仕事にやりがいを見出せない人たちを基準に決められているとしか思えない。しかし、法律は守らねば、経済活動が難しくなる。労働人口における自営業者の比率は減り続けているのだ。減っていけばいくほど、難しい世の中になりそうだ。

2017.10.12  Hitoshi Shirata

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