生き物ごとの全く違う世界観

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最近、加齢のためにますます近くの文字が読めなくなった。少し遠ざけると読めたりするのだ。人並みに老眼なのである。小学校低学年ののときに学校でやらされた視力検査では0.6と0.7だったので、眼鏡をかけるようにと学校から親に通達があり、母親からメガネをかけないといけないから、メガネ屋に行こうと言われた。私は眼鏡が大嫌いだったので、どうしても嫌だと言った。メガネを掛けた姿が小さな頃から嫌いだったのだ。着る服も前明きのあるアイテムはボタン留めの物は嫌いで、ファスナー開きのものばかり好んだ。どういうわけかスポーティーな見かけのものばかりが好きだった。思春期くらいには改善されたのだが。

この眼鏡屋に行く事を嫌がった数ヶ月後から、遠くのものばかりを見るようになった。当時は小学校で買う事ができた「科学と学習」という子ども向け月刊誌で、暗い場所でモノをみようと努力すると、暗い場所でも物が見れるようになるし、遠くの物を見ようと努力をすると、遠くの物が見れるようになると書いてあったからだ。動物の狩をするアフリカの原住民の視力が「4」であるのは、いつも遠くの獲物を見定めているからだ、という記事があった。遠くを見る練習を続けて、視力が良くなるのであれば、その方法を取ろうと強く思った。毎日のように遠くのものをよく観た努力のおかげか、2年後には1.0に、小学校6年になると2.0になっていた。

そんな体験もあってか、空を飛ぶ鳥たちは、はたしてどんな風に地上にいる我々を見ているのだろうか、ガラスの水槽の中を泳ぐ金魚たちには、ガラスの向こう側にいる自分がどのように映っているのだろうか、という疑問がわいてきて、動物の眼になって、世界を見たらどのように世界が見えているのかをしょっちゅう想像するようになっていた。そして原因はそれだけはないとは思うが、宙を飛ぶ夢をよく見るようになった。助走してジャンプすると徐々に高くジャンプできて、数歩で宙に浮く事ができるのだ。宙に浮いてしまえばあとは自由に50m位の高さまで自由に飛べた。あとは、いつもやっていたカラスたちの視点になって想像し、街の風景を見おろす気持ちの良い夢が展開してゆくのだった。

しかしながら、動物の種類によって物を見る器官は様々だ。昆虫は複眼でものを観ているし、そもそも目を持たない生物はどのように世界を認識しているのだろうか。これもよく不思議に思っていた。人の社会に順応してきたペット、犬や猫は人で言ったら色弱である。緑や赤や紫は見えていないらしい。最近の研究では、人には見えない紫外線を見ることができるとのことで、見えている色彩が人とはずいぶん違いそうだ。犬猫用のドライフードに着色料が施されていて、人の目から見ると美味しそうに見える製品になっているが、あれは犬猫が見てもあの色のグラデーションは全く認識できていないとのこと。購入するのは人だし、飼主がぺットに与えたときに、自分が美味しそうな餌を与えているという自己満足を与えるための、販促用の手間なのだ。

ある吸血のダニは、食物が無くとも18年間生き抜くことができるそうだ。この視覚をもたない生物は草の茎によじ上り、哺乳類の皮膚から立ち昇る酪酸の匂いを待ちうけながらそこに留まる。18年もの猶予があるからゆうゆうと待ちかまえ、ついに哺乳動物に出会うとその身体の上に落下して、腹一杯生き血をすい込むのだ。あとは卵を産んで死ぬだけだ。人の環世界に比べるとおそろしく貧弱な世界だが、このダニの人生の目的は明確に定まっていて、それを達成する道を逸脱させるものに出くわすことはほとんど無い。この単純な一生は彼らの人生(?)にとっては大きな強みに思えてこないだろうか。こんなふうに、生物は種類ごとに、それぞれの見えている、また感じている世界がおよそかけ離れているものだ。

10代のころに読んだニューサイエンス系の本に載っていたことだったと思う。そして科学界では認められていない事柄かもしれない。植物は感覚器官を持たない生物のように見えるが、人よりも長寿になるような樹木くらいになると、自分が嫌なものや、害を被るような対象物が近くにあったりすると、何年も何十年もかけて、根を反対側へ多く張らせて、少しずつ少しずつその対象物から離れてゆくそうだ。自らの寿命が尽きるまで。また、こんな話もあった。同じ環境で育てている複数の鉢植え植物のひと鉢に対して、「お前は見た目が良い、なんて可愛いのだ」と毎日のように声をかけながら世話をしていたら、他の同じ種類の鉢植え植物とは明らかに生育状態に差がついて、生長スピードがはやくなっていたというのだ。

植物だって、人が想像できないような方法で、自分の周りの環境を認識している可能性があるのだ。あなたが買った鉢植え植物だって、その植物種にあった環境を用意してあげなければ、始まりにもならないかもしれないが、環境や管理方法だけではないかもしれない。あなたの愛を感じながらあなたの部屋に鎮座してくれているかもしれないのだ。それらの事柄は、私には夢のある話にしか思えないし、だからこそこの仕事を選んで、なんとか続けていられるのかもしれない。

2018.2.05  Hitoshi Shirata

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