人の欲は永遠に変わらないままだろうか

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今年もまた暑い暑い夏がやってきました。温室の水やり作業中には汗だくになり、周辺の畑から飛んでくる砂ぼこりのおかげで、作業後に顔や腕を拭くとタオルが真っ黒になります。今年は麦わら帽子を被ることにしたので水やり作業の疲労感が軽減されました。直射日光が頭部に直接当たるのとそうでないのとでは大違いで、子供の頃に教えられた習慣はまったく馬鹿にできないものです。

ところで、数日前の7月22日は日本で皆既日食が観られるとのことで、ずいぶんとマスメディアは盛り上がっていましたね。私は残念ながら動画を見るだけで終わりましたが、NEO GREEN のスタッフは店先から部分日食を観測できたらしいです。動画で見た太平洋上の皆既日食は、動画とはいえとても幻想的でした。人類が惑星の上の小さな小さな存在であることを再認識させられます。地球の年齢だと言われている45億年と太陽系の寿命だと言われる残りの50億年について。また人類が危機に瀕するかもしれない地殻活動による気候変動はいつやってきて人類はどうなるのかについて。そして1秒間に3人が死んで6人が生まれていると言われる爆発的な人口増加の行く末について。次々と大きな問題を連想してしまいます。

歴史や政治の動きから考えると、私たち人間が配慮可能な時間の単位はほんの100年くらいのものなのですね。人どうしの争いごとに精一杯で、種の存続へ向けて団結するのは至難の業と言えそうです。人の欲望の内容が何万年前と現在とで全く変わっていないわけですから、この先数千年くらいは変わらないだろうし、もしかしたら永遠に変えられないのかもしれません。

しかしながら少しでも人の可能性に希望を持つのならば、欲の制御ができる技術を身につけることはできないものでしょうか。それにはまず、人の「豊かさ」の概念が変わらないといけないのかもしれません。現代社会の先進国中で唯一の人口減少国になった日本なのだから、仏教的で新しい価値観が日本で定着し始めて、Cool Life として世界の先進国へと広まらないかな? 自分の一生の間にはわずかな変化しか期待はできないけれど、文化が人に与える力を想像して、それを信じてみることで、猛暑の温室での水やりも苦ではなくなってきます。

しかしながら、思いを巡らせているだけでは何も始まりません。自分の境遇の目の前にぶら下がっていることを毎日淡々とこなしてゆくしかないのですね。まるで植物たちの生き様のように。

2009.7.27  Hitoshi Shirata

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