今日も一日ご苦労さん

DSC_3720m.JPG

欲望は限りありません。とどまるところを知りません。仕事は生産性が大切であります。仕事ができると言われる人は生産性の高い仕事をする人だと言われています。確かにそうです。短時間の労働で大きな成果、なるべく短い労働時間で高い給料、そうなることを理想とする人たちが大勢います。そういう働き方ができる人がエリートだと言う人もいます。長期休暇をとって海外のリゾート地でリフレッシュ。労働は高効率で集中的に済ませる、究極のホワイトカラーでしょうか。これは突き詰めてゆくと、労働らしい労働はせずにお金が入ってくる暮らしを目指すことに少し似ています。仕事をしないで暮らす。これは素晴らしい暮らしだと言えるだろうか。

最近は、「引きこもり」と言われる人の中でも、40~50歳代の比率が高まっているそうです。実は私の家の近所にもいらっしゃいます。家族に頼って生活することが可能な時代なのです。また、インターネットの中の人のつながりや善意に頼って暮らしている人たちが大勢いるそうです。チャットでのコミュニケーションのみで、困った時のカンパや食事のおごりも施してもらえるそうです。誰もが「寂しさ」を抱えて生活している現代ですから、私的に驚きではありますが、当たり前のことなのでしょう。アベノミクスの一億総活躍時代もそっちのけの状態です。

今日もまた、「幸せ」がテーマ。
丁稚奉公に出て、盆と正月にしか休みをもらえなかった昭和初期の人々は、はたして人生を辛いと思っていただろうか? きっと奉公先が見つかっただけで幸せを感じた人たちが大勢いたはずです。そう、幸福感とは、比較する対象を見つけることでしか感じられない気持ちであります。幸福度が高いブータン王国は、「足るを知る」をスローガンに掲げるからこそ、幸せを感じる国民が多くなるのです。豊かな日本、何をして暮らそうと全く自由なのであります。誰かが社会を回してくれるのです。それでも人間て、とことん社会的な動物だから、やっぱりどこかで他人に認められたい気持ちを秘めています。存在を認めてもらえていないと寂しさを感じてしまうように作られています。

禅宗の修行僧は、幸せを感じる瞬間が一般人より多いでしょうか少ないでしょうか。所有物をほとんど持たない修行僧の方々は、どれくらい精神的に自由でいるでしょうか? そもそも、生きていく上で「幸せ」と言われる感情を得ることがどれほど重要か、考えたことがありますか。 食物を得るための労働が行動のほとんどを占めていた原始人たちにも、大きな幸せを感じる瞬間があったはずです。いやむしろ現代人よりもより多くの幸せな瞬間を感じながら生きていたはずだと思いませんか。やっぱり働きましょうよ、ニートのみなさん。人が決めた価値観に惑わされなければ、きっと良い仕事があるはずです。どんな仕事も必要な仕事ですし、良い仕事に決まってますから。あなたの幸せは、他人の尺度では計れないのですから。

2016.6.13  Hitoshi Shirata

日々のこと バックナンバー

「日々のこと」バックナンバーは、各月コレクションからご覧頂けます。