天皇即位礼の映像をみて思う

DSC_3223m.JPG

天皇陛下の即位礼正殿の儀や饗宴の儀がとても印象深かった。私たちの天皇陛下も素晴らしかったのだが、来賓の方々も素晴らしかった。即位礼の日に催された饗宴の儀で天皇陛下の隣に座り、話をされていたのがブルネイ・ダルサラーム国のハサナル・ボルキア国王兼首相であるのを初めて知った。饗宴の儀の席順は在位期間が長い方順に良い席になるとのことで、来日された国家元首の中で最も在位期間が長いお方だということになる。国の人口は40万人ほど、私の住む区の人口が70万人なので日本と比較するととても小さな国だ。産出する天然ガスの9割が日本へ輸出されているし、歴史を調べてみると日本と関係が深く、太平洋戦争のさなかの4年間は日本の統治下であることも知った。同行されたマティーン王子とともに軍服のような真っ白い装束だったので、チャールズ皇太子よりも目立っていた。目立っていたといえば、ブータン国王夫妻だろうか、あのどこの国にも影響されていないように見える装束には敵わない。7年前、国王31歳の時の来日での、国会で演説した内容が思い起こされる。あの演説も太平洋戦争を思い起こさせる世界の中での日本の重要性が織り込まれていた。ブータン王国も人口が70万人ほどの小さな国で経済力は乏しいが、日本では世界一幸福度の高い国として有名である。国のスローガンが「足るを知る」なのだからあっぱれだ。

幸福度、この幸福という言葉がくせものだ。コマーシャリズムに乗っかると厄介だ。私も若い頃はずいぶんと振り回された。何かを獲得すると幸福になれるという幻想に振り回されるのだ。ブータン王国は、国が豊かになれば国民は豊かになるという幻想に縛られない国策をとる唯一無二の国である。日本で生まれ育った私は、これを買えばハッピーになれる、あれを買えばハッピーになれるという企業の宣伝に洗脳されながら成長してきた。あの学校に入れれば、あの企業に入れれば、良いパートナーを見つけられれば、家を持つことが出来れば、有名になれれば......、どこまでもキリがないのだが、何を手に入れても確かな幸福は得られない。幸せだなーっと思っている人の大半は、比較する対象を設定して、自分をそれより高い位置に見積もることで幸せだと錯覚しているだけだ。他と比較した時点で幸せからは遠ざかってしまうことに全く気づかない。国民全員が仏教徒であるブータンは、国が貧しいことを逆手にとることで国民を幸せに導く策を考えた。ワンチュク国王の30歳代にして備わっているあの品格が何からくるのかを熟考したい。

40歳になっても50歳になっても60歳になっても70歳になっても、頑張り続けている人ほど何かがしっくりきていない。諦めることでしか、今持ち合わせていることの価値を発見することができないからだ。しっくりきていないことも感度が高くないと気づかないから厄介だ。他人から「すごい」と言われるようなことを成し遂げて、それでも何かがしっくりこないと自ら言った方を、私は一人しか知らない。ほとんどの方は有頂天になっているし、それが幸せな状態だと思っているように見える。リーマンショックの数年後だったか、日経新聞のコラムで作家の林真理子さんが、今の若者が物を買わなくなったのは、彼らの親たちが買い物をする楽しみを見せないからだと書いていた。それを読んだ私は違和感を覚えたが、今の彼女は何を感じてどう考えているだろう。時代は大きく変わっている。未だ経済成長が鈍化する恐怖と戦い、生産性を上げることで戦いに勝ち抜き、より豊かになる競争が続いている。中国では人権を無視して生産性を上げ、超管理社会を目指すことで他国との競争に勝とうとしてしているのだ。爆発的な世界人口の増加が鈍化する時代が必ずやってくる。すでに豊かになった先進国と言われる国々では、そこに向かうための価値観の変化が始まっている。アニマルブレインの衝動をコントロールするための理性を手にいれるべく、日々鍛錬したい。

2019.11.06  Hitoshi Shirata

日々のこと バックナンバー

「日々のこと」バックナンバーは、各月コレクションからご覧頂けます。